四川まみれの覚え書き

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zoom RSS 揚雄墓。

<<   作成日時 : 2011/06/12 02:32   >>

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来週は期末試験の期間なんですが、なぜかぼくは今回試験監督の仕事もないので、実質的にもうすでに夏休みです。どうだ、すごいだろ。うちの学校は色々特殊なので、夏休みも6月から始まっちゃうのです。正式には下旬からなんですけど。


ということで、ヒマだし若干テンションあがってるしで、今日は午後から自転車で出撃しました。暑かったです。

行ってきたのは、以前から目をつけておいた、漢代の文人・揚雄の墓と古代蜀王国の柏灌王の墓です。いづれも都江堰市から東南にある郫県と温江区のちょうど境目周辺にあります。都江堰市と成都のちょうど中間くらいです。

近くにもう一つ、同じく古代蜀王の魚鳧(ギョフ)王の墓もあるんですが、時間切れで探せず。周辺は道路と畑と林のみで、標識とか何もないので、行きつくのに相当な労力が要ります。


ということで、都江堰のうちを午後2時に出撃して揚雄墓にたどりついたのがちょうど4時ごろ。日差しが強い時間に出てきたのは軽く失敗でした。

ネットの地図で場所はあらかじめ調べておいたのですが、中国の地図というのは紙でもネットでも、どうしてもディティールがはっきりしないところが多いので、結局は現地でまごつくことが多い。地元の人に聞きながら、ってのが一番ですね。聞いてもよく分からないこともしばしばですが…。

揚雄墓の場合は、ほとんど道に迷わず。「地図からいったら、ここか知らん」というボンヤリな確信で突っ込んでったら、ちゃんと角に分かりやすい標識(というより石碑みたいの)がありました。
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パッと見、これが墓っぽくもあるんですが、これはあくまで標識です。騙されてここで満足して帰らないように!

ここの道を入っていくと、突きあたりにご本尊が見えます。
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けっこう新しいものですが、立派な墓碑が立ってます。
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墓碑の後ろはコンモリした土饅頭になってます。この墓が本物なら、掘ったら何か出てくるかもしれませんね。
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ちなみに、正確なポイントは郫県の彭温路と郫花路の十字路周辺。郫花路の温江よりのほうにあります。瞳孔を目一杯開いて探しましょう。ぼくは都江堰から自転車でしたが、例えばタクシーをチャーターしたりする場合は成都もしくは都江堰から成灌高速に乗って、安徳というところで下りると彭温路に出ます。温江方面に向かっていけば郫花路との十字路にぶつかります。バスはよくわかりません。成灌快鉄使って、郫県西駅あたりで下りてタクシーという手もありますね。ちょっと遠いかも。まあ、ここまで詳しく書いても行く人はおらんだろうが。


揚雄は紀元前53年〜紀元18年、前漢末期から王莽の新朝期まで生きた文人・学者。字(あざな)は子雲。成都出身だそうです。賦(漢代に流行ってた、漢詩の親玉みたいなやつ。長くすぎて読む気が起こらない)で有名だったとか。

死んだときは新の都であった長安(いまの西安ね)にいたようなので(蜀に帰ったって記事がないみたい)、墓も長安にあるんじゃないの?という疑問もあります。『漢書』の揚雄伝に「鉅鹿侯の芭(たぶん姓は“王”)っていうおっさんが揚雄のために墳墓を築いた」と書いてありますが、場所がどことは書いてません。

ただ、中国のネット調べてたら、「揚雄が立てた子雲亭を、清朝の乾隆年間に揚雄墓の近くに移した」っていう記事を見つけました。この話が本当なら、かなり昔からここにあったんですね。

少なくとも、雲南のときに行った孟獲墓より信憑性があるのは確実です。



ちょっぴり長くなりそうなので、ここでいったん切って、柏灌王墓は次回。地図はあるのに、実際の正確な場所が分からず、かなり彷徨います。

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