四川まみれの覚え書き

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zoom RSS 興文石海A

<<   作成日時 : 2010/06/08 12:51   >>

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さて、石海の続きです。

今度は西南夷(せいなんい。「中国西南部に居住する異民族」の意)たちの墓葬跡を見に行きました。この異民族、「棘」字の下に「人」と書く字で、「ボク」と読むんですが、パソコンだと字が出てきません。Unicodeでも出てこんかった。ちなみに現代中国語だと「bo(第2声)」と読むそうです。

以前、都江堰のところで紹介した『華陽国志』にも彼らに関する記述はありますが、注釈者の任乃強によると、ボク人たちは異民族ながら漢語を話すことができ、一部の人々は唐・宋代くらいまで漢人の奴隷として使われていたと。2000年もの間、何の変化もない民族なんてほとんど存在しないし、ましてや漢語を話せる以上は漢文化もある程度浸透していたはずなので、そんなに長いスパンで奴隷やりつづけてたってのは妙な話です。血縁的にも漢人と混じってるはずなので、漢化(異民族が、支配民族である漢族の文化・習慣を受容し、漢人として存続していくこと)してないほうがおかしい。


とはいえ、いま現在遺されている墓葬は一応観光のためにある程度整備されてるだろうし、これを作った明代のボク人(と観光用の説明に書いてある)が、『華陽国志』に登場するボク人と全く同じだなんて考えられないので、任氏の言うことなんか気にせずに観光を楽しみましょう。僕が実物を見てコーフンしたのは事実ですので。


まず全体像。
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手前の魚のホネみたいのは、水牛の角で作られた(赤毛のケリー!)ハシゴです。お祭りのときにこれに登ってポーズ決めたりするそうです。日本の火消しのアレと同じような感じですね。なにか関連性があるのでしょうか。
奥の小高い丘の崖に、例の「懸棺葬」と言われる墓葬跡があります。まさに奇習。
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もう少し寄ってみましょう。
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ご覧の通り、岩に穴を穿ち、そこに杭を2本差しこんで、その上に死者の棺桶を載せる、という何ともメンドーな墓葬、それが懸棺葬なのです。「棺を懸ける」ってことですね。

別の角度から。
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棺だけでなく、朱で描かれた岩絵もあります。ネットで調べてみたところ、懸棺葬には岩絵がセットになってることが多いみたいです。アップで見てみましょう。
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↑ちょっとマイケルっぽい。舞踏の文化があったみたいです。今でもお祭りのときに水牛のハシゴの周りで少数民族たちが踊るみたいですよ。ポゥ!

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↑こちらは動物および動物(たぶん馬)に乗った人。左の動物はなんだろう。

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↑これは戦士ですかね。もしくは狩人。好戦的ではないにせよ、勇敢さとかが重んじられたんでしょうか。上の舞踏の絵と合わせて、僕は真っ先に板楯蛮を思い出しました。板楯蛮は秦・漢時代から三国・晉代くらいまで四川に居住していた異民族で、王朝に協力的で勇敢であり、多くの戦功を立てた人々です。また勇壮な舞を得意とした、とされています。ボク人と板楯蛮との関係は定かではありませんが、どこかに文化や風習の連続性があったのかも知れません。

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↑これはどうみても太陽信仰ですね。長江流域は多いみたいですね。


どうやって岩に穴を開け杭を差し棺桶を置いたのかというと、どうやらこの崖の裏にヤブ道があって、上まで登っていけるようです。むろん通常の道ではないので簡単に登れるものでもないと思いますが、岩を登るよりは早いでしょう。そうなると上から綱で棺桶を吊るして載せた、ということですかね。あるいは下から足場を組んで作業したか。下からのほうがやりやすそうですね。

そんな想像をモヤモヤしていたら、バスの時間が来てしまいました。

素晴らしいものを見せてくれた、異民族たちに感謝。


そんなこんなで、前回予告していた洞窟探検は次回に持ち越し。

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