四川まみれの覚え書き

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zoom RSS 都江堰にてB

<<   作成日時 : 2010/04/30 10:31   >>

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さて、都江堰編は今回で最後です。たぶん。

禹王宮を出たあと、再び道なりに進んでいきます。このあたりから「松茂古道」という道に入りますが、すこしづつ坂になってきます。のんびり歌など歌いながら歩くおばはんたちを抜き去りつつ、やや息切れ気味に辿りついたのが「玉壘関」という、いかにもな感じの門。番兵とかいそう。ちなみに読みは「ぎょくるいかん」。

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門の傍で遠くに向かって吠えてるおばはんが2人。「あーーーッ!」とか「わぁぁーーッ!」とか。中国人だから平仮名じゃなくて漢字で叫んでるんだろうけど。日本人的には、いささか奇異な光景です。

ここからさらに上に登っていきました。斜面に沿って階段が伸びていて、運動不足のおじさんは行き倒れ寸前でした。結構急ですよ。そしてここでも遠くに向かって吠えたけるおばはんが1人。城壁から首だけニュッと乗り出して叫ぶ様は、なかなかエキセントリックです。

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この階段を登りきったら、またさらに上に続く階段が出てきて、さらにその上にも階段。「もう帰ろう」とか思いつつも足は上に向かうという悲しい体質のせいか、ついつい登り続けてしまう31歳のおじさん。

「登りきったら、絶対なんかスゲーのが見れるに違いない」なんて根拠のない期待を抱きつつ、ボロ雑巾のようになりながら辿りついた行き止まりには、「地震復旧作業中のため、関係者意外お断り」の看板(もちろん中国語で書いてあるよ)が。そしてその先にはさらなる高みへと続く階段が。

がっかりすぎて(自分に)写真撮る気も失せました。まぁ、引き返す言い訳ができて良かったちゃ良かったが…。


あとは下るだけ。しかし、下りは下りで左太腿がつりそうになりました。ほんとに運動不足です。ああ辛かった。

玉壘関のあたりはずっと山の中って感じでしたが、だいぶ下まで降りてくると、お堂や廟がいくつかあって、ホッとしました。

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ツツジももう咲いています。

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足がガクブルになりながらも、ようやくゴールが見えてきました。都江堰には3か所の入り口がありますが、最初入ったところとは別の、玉壘山口に出てきました。やーもう疲れた疲れた。正味1時間半くらいでしたが、がっつり楽しめました。でも最後の階段登りに疲れすぎて、最初のほうの風景とか遠い昔のような気がしました。90元払ったことなんてもう忘れてるしね。

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部屋に帰ってから、任乃強の『華陽国志校補図注』所載の「都江堰工程略図」を見てみたところ、玉壘山のあたりにはかつて灌県城があったそうな。灌県というのは都江堰市の元の地名。要するに県のお役所があったってことです。こんな斜面のなかによくもまあ…と思いますが、この場所がぼくが最初にみた「宝瓶口」の上だということを考えれば、かつてこの川の治水がいかに重要であったかが分かる気がします。


ちなみに「華陽国」とは、四川の旧称。もとは四川の一部ですが。

『華陽国志』は東晉(おおざっぱにいうと三国時代のあとらへん)の常璩(じょうきょ)という人物が書いた歴史書で、晉代までの四川の歴史を知るには第一級の史料です。異民族関係の記事も多数あるので、大学院時代は大変お世話になりました。『華陽国志校補図注』は、それに微に入り細に入り詳細な注と図を附けたもの。これをこえる注釈書はないです。作者の任乃強は「じんだいきょう」と読みましょう。



ということで、壮絶なる都江堰編はこれにて完。

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